「清々しき人々」物語を実在の歴史に転換した H・シュリーマン

世界一周旅行で日本を訪問

 大金を手中にしたシュリーマンは一八六五年から世界一周旅行に出発します。インドを経由して海路で香港、上海、天津に立寄りながら北京に到着し、万里の長城を見物して六月一日に横浜に到着しました。五九年に外国に開港してから六年が経過していた横浜は辺鄙な漁村から多数の外国の人々が集散する港町に発展しており、ここでシュリーマンは長崎にグラバー商会を創設したT・B・グラバーとも出会っています。

 何事にも関心をもつシュリーマンは日本の庶民の家庭なども見物していますが、大変な行事を見物する機会がありました。第一四代将軍徳川家茂が京都の孝明天皇に拝謁するため、六月一〇日に横浜付近の東海道を通行するというのです。混乱の発生を阻止するため外国の人間の見物は制限されていましたが、イギリス領事が幕府から許可を取得し、その一人としてシュリーマンも保土ヶ谷で一七〇〇名にもなる将軍の行列を見学したのです。

 さらに生糸の産地を見学するため八王子を訪問し、江戸の見物にも出掛けています。当時は幕末の緊迫した情勢のため外国の人間の江戸訪問は禁止されていましたが、アメリカ代理公使の手配で許可を取得し、警護の五名の役人とともにアメリカ公使館となっていた麻布の善福寺に到着、愛宕山、日本橋、浅草寺などを見物します。約一ヶ月の滞在を終了し、横浜からサンフランシスコに航海、アメリカ大陸を横断して、翌年、パリに到着しました。

トロイア戦争の物語

 これ以後、シュリーマンは生涯の事業となるトロイア遺跡の発掘に集中します。その活動を説明するために『イリアス』で展開される物語を紹介します。出発は全知全能の神ゼウスが地上で増加しすぎた人口を減少させるために戦争を勃発させる策略を考案したことです。そこで戦争の契機とするため、トロイア王国の王子パリスに三人の女神ヘラ、アテナ、アフロディテを対面させて最高の美人を選択させる「パリスの審判」を実行します(図2)。

図2 パリスの審判(ルーベンス 1636)

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